狭義には三浦半島の観音崎と房総半島の富津岬を結んだ線の北側、広義には三浦半島の剱崎と房総半島の洲崎を結んだ線より北側、すなわち浦賀水道を含んだ海域を指す。狭義の海域について気象庁の津波予報区としては「東京湾内湾」と称する[6][1]。 狭義の東京湾の面積は922 km2。広義の面積は、1,320 km2 である。千葉県、東京都、神奈川県に面する。
内湾部の水深は比較的浅く、富津岬沖には「中の瀬」と呼ばれる台地が広がる。
多摩川、鶴見川、荒川、江戸川、小櫃川などが注いでいるが、湾口が狭く外海との海水の交換は行われにくい。そのためたびたびプランクトンの異常発生である赤潮が発生してきた。外海に面している浦賀水道の水質は良く、加えて黒潮の影響を受けるため温かい水を好む南方系の魚やサンゴも生息している。特に、夏には沖縄近海で見られるような魚(死滅回遊魚)の姿を見ることも出来る。江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。これにより湾内には明治・大正期に造られた海堡(かいほ)を始め、70を超える人工島がある[7]。対して、自然島は現在横須賀市沖の猿島及び鋸南町沖の浮島 (千葉県)等がある。
かつてアシカ島など湾内ではニホンアシカが繁殖し、数多くのイルカやシャチ、コククジラやセミクジラなど大型のクジラ類も見られた。また、袖ヶ浦や浦安沖から湾奥部などでよく見られた「クジラまわし」と呼ばれる光景(ナガスクジラ科が海面で行う採餌行動)は、冬の風物詩の一つとされた[8]。現在でも、ツチクジラ(ほぼ消滅)[9]やマッコウクジラなどが浮島 (千葉県)や館山湾など湾口に集結する事がある。三浦半島の佐島など周辺海域にもクジラが回遊していた[10]。スナメリは現在では滅多に見られない[11][12]。ジンベイザメやマンタ、マンボウなどの大型回遊魚類は館山方面で見られ、ミツクリザメ、ダイオウイカなどが発見されることもある。
元々遠浅で砂地の海岸が多かったため、各所で埋め立てが進められてきた。埋立地の大部分は、工業地帯もしくはベッドタウンとして利用されている。現在残されている自然の砂浜は、千葉県の木更津以南のみとなっている。横須賀港、横浜港、川崎港、東京港、千葉港、木更津港があり、横須賀港には米軍横須賀基地や海上自衛隊横須賀地方隊の基地がある。京浜工業地帯と京葉工業地域は、加工貿易で国を富ませてきた日本の心臓部である。バブル景気の頃から、オフィス街(臨海副都心と幕張新都心)も開発され、バブル崩壊後は、超高層マンションの建設ラッシュや大型ショッピングセンターの新規オープンなどが相次ぐ。
Wikipedia より
以外と知らないことが多い。