直感にたよるな
科学上の大発見の逸話やノーベル賞の裏話として、ひょうたんから駒、偶然の失敗が思わぬ成功につながったといった類のものが後日談として語られることがある。多くの場合、このようなものは、メディア向きに話をわかりやすく脚色したか、何度も話しているうちに故意か故意でないかは別として、期待に沿って作り上げられた話であることが多い、と私は思う。
自然は、あるいは世界はそれほど単純なものではない。ひらめき、もしくはセレンディピティと呼ばれる発見の能力が仮に存在するものとしても、それは偶発的なものでも、僥倖的なものでもない。むしろ、そこに至るまでに行われた気の遠くなるようなデータ解析、長い時間をかけた思考の逡巡、あてどのない試行錯誤、そのような必然的なプロセスの結果として発見がある。つまりルイ・パスツールの言葉のとおり、チャンスは、準備された心にのみ降り立つ。
むしろ、これはこうに違いない!と直感的に思いついた仮説は、すぐに色あせたものとなったり、後になって誤りだとわかったりする。人間は、点と点を線で結んでパターンを作り上げる能力に長けている。自然と対時し、そこからできるだけ法則性を導き出そうとしてきた進化の結果である。
しかし夜空の星は本来ランダムに配置されているものだし、ツバメが低く飛ぶと、といった話の大半は迷信に過ぎない。天井のしみが人の顔に見えるのも幻想である。しかし私たちはあまりにも不可避的に、関係なきものの関係性に、パターンなきもののパターンに吸い寄せられ、魅了される。だからこそ私は自戒する。ひらめきに足をすくわれるな、直感にたよるなと。
福岡伸一
分子生物学者
データ集めが大事ですね。