物の存在,活動などを説明する中国哲学上の概念。
気はもと「气」と書き水蒸気にかたどった文字。人間になぜ生死があるのか,生物になぜ四季に応じる盛衰の変化があるのかを追究して,これを水蒸気や人間の息 (いき) に類比される極微な物質の気の集散によって説明しようとしたらしい。
したがって,気は人間の心からは独立で,宇宙に遍在し,それ自体活動力をもった共通普遍の質料であって,それが個々の物を凝集すれば物は生存し,散逸すれば物は死滅するとされた。
しかし,中国哲学では気の量的変化は考えられていない。
古代には,気にはいわば生きる気と死んでいく気のように2種または相異なった運動があると考えられ,清濁説,陰陽説を生み,また物に即する異質性または異なった段階的運動が考えられて五行説が成立した。
それとともにその根源の一元気も考えられるようになったが,陰陽,五行などの気の展開の追究は,その超越的自然理法を顕著にすることになって,宋代には形而上の「理」を気に優先する考えが成立した。しかし,明以後は客観的,経験的に気を中心にして物の展開を考えるようになった。現代中国の哲学研究では,中国的唯物主義の系譜をこの気によって見出そうとしている。
なんか難しいですね。